透析だより
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社会医療法人天神会理事長 古賀 伸彦久留米市中央公園での運動会(中央の緑色のシャツが私です)と、先の見えない不安の中におられたと思います。 その後、ダイアライザーはキール型から中空糸型へと移行し、膜面積や体外循環量が小さくなり、破損も大幅に減りました。この時期に透析治療はようやく“実用化”の段階に入りました。当時、透析患者さんには皮膚の色素沈着、尿臭、貧血、心不全など、尿毒症に伴うさまざまな症状がみられました。原疾患は糸球体腎炎がほとんどで、保険制度の制限から糖尿病性腎症は適応外とされていた時代です。今では糖尿病と腎硬化症が大きな割合を占め、時代の変遷を実感します。また、麻酔パッチのない時代には穿刺の痛みを和らげる工夫を重ね、針の切れ味や太さの選択など細かな改善が積み重ねられました。(その経験は、今のワクチン接種時の“素早い穿刺・ゆっくり注入”にも活かされています。)ダイアライザー膜は高分子化が進み、皮膚の色素沈着が改善したときには患者さんと一緒に大変喜んだものです。一方で透析液の清浄化が不可欠であることも明らかになり、透析中にエンドトキシンショックを発症した患者さんに、開発されたばかりのPMX(現トレミキシン)を使用して救命できた経験は、今も忘れられません。 1980年頃には若い患者さんも増え、腎友会青年部とともに運動会を企画し長く続けたことも良い思い出です。(当時の写真が残っています。)透析療法によって生命を約束できるようになり QOL の改善が目標にされた時代でした。当時、参加されていた青年部の患者さんは今も元気に社会活動をされています。 皆様、明けましておめでとうございます。 1976年(昭和51年)に当時の古賀病院で血液透析を開始してから、今年で50年を迎えました。私はその2年前より透析療法に携わり始めましたが、当時の透析治療は現在とは大きく異なるものでした。 開始当初、ダイアライザーには平板型のキール型、円筒形のコイル型があり、いずれも膜面積が大きく、破れやすく、透析前の準備には細心の注意が必要でした。膜が破損すると大量出血をきたすことがあり、頻回輸血は避けられませんでした。肝炎対策も十分ではなく、患者さんも医療者も多くの不安を抱えながら治療にあたっていた時代でした。透析効率がまだ不十分だったため、心臓の周りに水が溜まる(心のう液貯留)こともしばしば認められました。導入される患者さんは「いつまで元気に生活ができるのだろうか」12026年1月1日発行発行 社会医療法人天神会発行責任者 古賀 伸彦編集責任者 時任 義臣血液透析開始50年を迎えて

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